Hi, there. Glasgow

Study in Scotland

番外編:スコットランドからオーケストラがやってきた!

 

こんにちは。リックです。

渡航準備を進めながら、日々を怠惰に過ごしています。日本の夏、暑い・・・早く渡航したいです・・・。

 

やっぱりPhDスタートしないと、特にブログに書くことがないような・・・と、思っていたら、チャリティーイベントでスコットランドのオーケストラを聞く機会がありました!

 

 

エアシャー・フィドル・オーケストラ、来たる

 

世の女性の例に漏れず(?)、うちのカミさんはチラシが好きだ。

スーパーやコープ生協はもちろん、ひとたび郵便受けに入ったチラシは全て、入念なチェックを受けている。チェックを終えたチラシは裏紙としてメモ用紙になったり、息子のお絵かき紙になったりする。「ダイエットしろや」と言わんばかりにフィットネスジムのチラシが私の机に置いてあることもある(ただし、行っていいの?と聞けば、「お金ないから家で運動しなさい!」とか言われる)。

 

情報源であり、文房具であり、コミュニケーションツールにもなり、1枚で3度美味しいわけだが(私は速攻捨てるけど)、そのおかげで結構拾いものなイベントを発見することも。

 

今回はまさにそれ。

 

「スコットランドオーケストラだって!」

 

「なぬ!いつ!?行こう!」

 

我が家の誇る電撃的意思決定のもと、大妻女子大学で開催された「エアシャー・フィドル・オーケストラ(AFO)」のチャリティーコンサートに行ったのだった。

 

AFOは、世界各地で演奏ツアーをやっており、13-18才くらいのユースで構成されているらしい。演奏も上手。なんと日本には初来日なのだとか。

 

AFOのホームページはこちら↓

http://fiddleorchestra.com/about-the-afo

 

パフォーマンスはこんな感じ(YouTubeより「スコットランドの花(AFO)」)

https://m.youtube.com/watch?v=7S77BlxiOOw

 

色々たまらん

 

それにしてもこのイベント、スコットランド好きには色々たまらんイベントだった。

まず、開演と共に、バグパイプによる「スコットランド・ザ・ブレイブ」の演奏。この時点でシビれる。

 

それまで「もーかえるー」だの「おなかへったわー」だの文句たらたらだった息子も、演奏が始まった途端、「はっ!」とステージに刮目。そうそう。覚えてないだろうけど、帰国してもしばらく君は鼻歌でこの曲歌ってからね。思い出したかな。

 

そして、スコットランドのおじさんによる挨拶。これまた、アクセントが半端なくスコティッシュ。グラスゴーに留学した当初こそ聞き取るのが大変だったが、もうね、ここまで来ると、もはや懐かしいです。

 

そして、素晴らしかった点はその選曲。ハイランドの民謡やアイリッシュダンス、スカンジナビア民謡など、「スコットランドらしい」曲がずうっと続く。たまには物悲しい曲もありつつ、基本的には軽快で明るい曲が続く。

 

不満たらたらだった息子も、なんだかんだ言って2時間じっとしていることができた。偉いぞ息子よ。さすがはスコティッシュ・アクセントで私のクラスメートたちを爆笑させ、心を掴んできただけのことはある。記憶は薄れても、ちゃんとスコットランド愛が刻まれてるじゃないの。

 

そのほか、演奏中にジャンプしたりと驚きのパフォーマンスもあったり、合唱があったり、キルトを着た指揮者のおじさんがやたらお尻を振ってたりと、退屈しない工夫が多々されていて、そういうフレンドリーで気取らないところも、なんかスコットランドらしくて、いい

 

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ジャンプするところでは、のだめ、を思い出しました。(二宮知子,「のだめカンタービレ」,p171, 講談社)

 

 

 

あれ?なんか知ってる人が・・・。

 

他にも驚いたのは、通訳をしている女性、あれ、どこかで見たような・・・と思っていたら、同時期にグラスゴー大学に留学(MBA)されてたEさんじゃないか!

 

しかも、カミさんが指でツンツンするので、ふと振り返ると、これまた1期下のえむちゃんがいるではないか!

 

同時期に留学してたメンバーは今でも仲がいいので、会おうと思えばすぐ会えるが、こういう再会も、やっぱり嬉しい。

 

早速、この日2度目の電撃的意思決定によってえむちゃんを連れ去り、留学時代の思い出話や近況報告に花を咲かせたのだった。

 

 

 

 

・・・いやあ、1枚のチラシで3度、いや4度くらいおいしかった。

 

 

 

 

(このイベントはファンドレイジングも含めると2年以上の準備があったそうです。関係者の皆様には、貴重な機会のご提供に、一スコットランドラバーとして心より感謝申し上げます。子どもも含めて参加させてもらえたことも、感謝感謝です。)

http://www.otsuma.ac.jp/events/etc/20190604142605

 

 

PhDからオファーをいただきました (下)

 

こんにちは、リックです。

ひと段落して気持ちに余裕がでてきたためか、筆の滑りがよくなってきました。

 

 
無理やりスケジュール感をもつ


さて、「どうも受かる気がする。というか、このコースは私のためにできたのではないか!?」と勝手に運命を感じて、天下のオックスフォード大学を受けることにした私。


当時のメモを見ると、たびたび「ギリギリで受かる、それか、ぶっちぎりで落ちる」と書かれている。


失恋にもお受験にも就活にも言えることだが、運命を感じているのは自分だけ、というのは割と世の真理かもしれない。


そういうわけで、合格発表までは通常4〜8週かかると言われたオックスフォード大学からは、あっさり2週間と3日で不合格の連絡があった。

 

曰く。

 

 

「あなたは不合格となりました。理由は、優秀な受験者が沢山いるからです。悪しからず。」

 

 

そんな書き方しないだろうって?そう書いてあったんだよ(要約すれば)。

 

ある意味予想通り、ぶっちぎりで不合格だったわけだが、収穫は大きかった。ずうっとグチュグチュと言い訳をしていた私の脳は、「1月28日(オックスフォードの〆切日)に間に合わせなきゃ!」と急遽スクランブル発進。こうなると、中央官庁での役所生活からこのかた、空中戦に慣れた身は強い。


あっという間にプロポーザルを修士論文ベースで修正し、煌びやかな言葉で埋め尽くされたステートメントと略歴書を書き上げ、2000語×2本のエッセイを修士課程の提出物から転用、推薦状の依頼、それら書類の文章校正の依頼etc etc ... を一気呵成に終わらせた。この間、1ヶ月弱、しかも仕事はしながらだった。


そして、これらの書類は、当然ながら他の大学の受験にも転用できるわけだ。

オックスフォード大学を記念受けn・・・もとい、強行偵察したおかげで、兎にも角にも前進するという、スケジュール感を無理やり持つことができた。


そして、二つ目の転機が訪れた。

 

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Photo by Rick: Iruma Airbase, Saitama, Japan

 

二つ目の転機


二つ目の転機は、やっと書き上げた修士論文ベースのプロポーザルを、とりあえずいくつかの大学の先生方に送ったことで訪れた。

 

海外のPhDを受けるにあたって、例えば日本の大学の研究室からツテで行く、とかでない限りは、正面から受験しても、受かる確率はかなり低いと言われている。ものの本によれば、3つの名門大学を受けて、どれか1つの大学でも受かる確率はおよそ45%(※)らしい。

※Peters, L. R. Ph.D (1992), Getting What You Came For, 2nd ed,. New York: Farrar Straus Giroux


このため、大学によって、「指導してもらいたい先生に事前に接触すること」とか、「公正を期すために事前の接触は不可」、あるいは「接触してもいいけど、合否には影響しない」とかがHPに記載されていることが多い。


ちなみに、今はロンドン大学の教官になった韓国人の友人Cさんと、その旦那さんでドイツ人、同じくロンドン大学の教官Tさんからは、

 


「大学側が何と言っていようと、つまり仮に接触するなと書いてあっても、受かりたいなら絶対に接触しろ」

 


と言われていた。


オックスフォード大学に関しては、この時間もなかった(ぶっちぎりで落ちると予測していた理由の一つはこれ)が、他の大学には、ちゃんと送ることにした。いくつかの大学の先生5〜6人にプロポーザルと略歴書を送ったが、返事がこなかったり、返ってきても「お断り」だったり。


そして、エジンバラ大学のある先生から、とても丁寧な(でもお断りの)メールが来たのだが、それが2度目の転機。どうして彼が受けられないか、という点が丁寧に述べてあって、「もしそれができるなら私がもうやってるよ」という内容だった。

 

 

 

むむむ。

 

 

 

一瞬凹んだが、よく考えてみると、その道の専門家が「面白い」と言ってくれて、その上で、「こことここが実現不可能ではないか?」というコメントをくれたことで、自分のプロポーザルのどこが初見の人にはわかりずらいのか、論理的な弱点はどこなのか、というのを考えさせてくれた貴重なご意見だった。


そこで、改めてプロポーザルを眺め、もうちょっと実現可能な感じに修正し、思い切ってカラーの図表なども盛り込んでみることにしたら、たぶんそれがよかった。何よりその過程が楽しくて、研究するワクワクが戻ってきてくれた。


そしてついに、エジンバラ大学のある学部長クラスの先生から、「私の専門ではないけど、面白いからうちのPhDディレクターに紹介する」というメールをもらい、そのPhDディレクターから「この先生に接触してみたら」というアドバイスを得ることができた。早速その先生に接触してみたところ、指導教官になってくれると快諾してくれた。


それから指導教官(より正確には、まだ入学してないので"Potential Supervisor”)と修正のやりとりを何往復かして、最終的に「Go」をもらって、2月下旬にやっと正式にアプライすることができた。また別の機会にでも書きたいと思うが、それからおよそ3ヶ月、筆舌に尽くしがたい悶々とした待ち時間があったわけだが、兎にも角にも、エジンバラ大学から合格をもらえたのだった。


この間に色々相談させてもらった、アメリカ人のDさんからは、「PhDはね、とにかくケツに悪い、と言われてるんだよ」と冗談を言われた。そのこころは・・・。

 

 

「少し進んでは長く待ち、また少し進んでは長く待つ。座って待ってばかりだから、ケツに負担がかかるのさ」

 

 

げえ。        3年後には・・・ケツを割っとるかもしれん。

 

 

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Photo by Rick; City Centre in the summer season, Glasgow, Scotland

PhDからオファーをいただきました (上)

 

 

こんにちは。リックです。

 

さて、前回ちょっとご報告したとおり、PhDコースから無事に無条件合格(Unconditional Offer)をいただくことができました。大学はエジンバラ大学、またも、私が愛してやまないスコットランドです。

 

グラスゴー大学での留学生活から帰国して、仕事をしながらちょびちょびと準備してきたことが無事に身を結び、やっと得た合格。嬉しいです。

 

ただ、(ちょびちょびしか準備しなかった自分も悪いのですが、)合格までそれなりの紆余曲折がありましたので、ここに備忘的に記しておこうと思います。

 

 

1年以上もブログを止めて

 

祖母が亡くなったところでブログの更新を止めてしまい、そのままなんと1年以上も更新しなかった。更新が止まった理由は特に祖母が亡くなったこととは関係なく、「何となく」更新するタイミングを逸したから。

 

続きを書こうと思いつつ、「うーん、でも帰国したから書くネタないんだよな」とぼんやりし、「あ、そうだ。もうすぐPhD受かるはずだから、そしたら続き書こう」と妄想しているうちに・・・1年とちょっと。

 

「受かるはず」だったPhDは、「受かる」ところか「受ける」段階でつまずいた。役所を辞めたときの「人生を懸けて闘えば道は開ける」というアツい思いはどこへやら。帰国後、意外にもあっさりと安定した職に就けてしまったことでそういう温度も冷め、そうなると人間、守りに入る。

 

 

   うーん、落ちたらカッコ悪いなあ。

 

   実力も発揮できて、給与ももらえて、ボスとも意思疎通はうまくいって、となると、今の仕事でもいいんじゃないか。なんか、周りからも結構頼られるし。

 

   子どもも、大きくなってきたなあ。今からPhDに行くと、帰ってきたら小学生じゃん。

 

   カネの問題も、片付かないしなあ。PhD、海外に行くとなるとなあ・・・。

 

   ええと・・・研究したいことってなんだっけ・・・。

 

   あれ・・・そもそも・・・何がしたかったんだっけ・・・。

 

 

最後から2番目のあたりで、研究者としてどうなんだろうという段階になり、最後にいたっては、ヒトとしてまずい段階(いわゆる"自分探し症候群")に入ってしまっている。

 

ここまで来るとキツい。「研究したい!(はず!)」という思いに自分を集中させ、ほうほうの体でプロポーサル(研究計画書)を書き綴る。

 

でも、仕事に行けば空中戦で、次から次へと降ってくる課題を撃墜して乗り越える日々。研究はむしろこれとは対照的で、じっくり腰を据えてウンウン考える地上戦。仕事で離陸して、家で着陸したら地上戦。しかも言語が日本語と英語で切り替わる。

 

ついでに、夜になれば子どもはのしかかってくるし、家事も(ちょっとは)手伝う。

 

「パパっち!お仕事はお昼にたくさんしたでしょ!」(by 息子)

 

仕事とは「(保育園で)遊ぶこと」だと信じて疑わない3歳児の視線は厳しい。そういえば、あんなに上手だった彼の英語も2年近く聞いていない。

 

自分自身が怠けていたといえばそれまでだが、この切り替えは本当に大変だった。・・・だった、というか最後まで切り替えはできていなかった気がする。

 

 

転機が訪れる

 

諸々意見はあろうかと思うが、一通り手順を終えてみると、海外のPhD受験で肝となるのは、やはりプロポーザル(研究計画書)だと思う。日本人、韓国人、英国人、ドイツ人、トルコ人と幅広く現役の研究者・PhD生の方々に相談したところ、総じて、

 

 

「A4で2枚くらい、ちゃちゃっと書けば大丈夫」

 

「研究手法と、研究の意義がしっかり書ければ大丈夫」

 

「3年間で絶対終わらせるという強い意志を盛り込めば大丈夫」

 

 

ダイジョーブ、ダイジョーブ。異口同音に伝えられた多国籍なダイジョーブ。

 

こっちから相談しといて何だが、英語でちゃちゃっとなんて書けないし、研究手法も正しいのかも自信がないし、意志力とは無縁の自分にとって、全然大丈夫じゃない感じがムンムンするではないか。

 

 

ぐう・・・書けない。

書いては削除し、論文を眺めては(読んではいないところが問題)溜め息をついて、最後に、やっと悟りがひらけた。

 

結局、新たになにかやろうというのがいけなかったのだ。まずは受かってしまえばいいのだ。グラスゴー大学に提出した修士論文をゴソゴソと引っ張り出してきて、もうこれを焼き直して出そうと、開き直ることにした。自信があった割にいまいち成績が伸びなかったため、PhDでは別のテーマにしようと思っていたのだが、考えてみればこの論文だって一応は優等(Merit)をもらっている。最優等(Distinction)ではなかったが、もうこれでいいや。

 

そんなの最初からそうすればいいじゃん、と思われる向きもあるかもしれないが、一応先々のキャリアとかを考えたり、悩んでいたりすると、「その最中」には中々気づけない。特に、(研究と直接は関係ない)仕事をしながらの生活の中では難しかった。

 

 

うまくいった転機は2つあったと思っているが、悟りが開けたのは、おそらく一つ目の転機がきっかけだったと思う。

 

それは、何気なくオックスフォード大学のホームページを眺めていたら、私のテーマに関連したコースが新設されていたこと。締め切りまでおよそ1ヶ月。基準をみると、GPAと修士課程での成績はやや足りないが、「ギリギリ受かるか?」という線だったこともあり、何より勝手に運命を感じた私は、大急ぎで修士論文を焼き直し、受験してみたのでした。

 

 

(続く)

 

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Photo by Rick: Covered Market, Oxford, England

卒業式に行ってきました。@グラスゴー大学(下)

 

ご無沙汰しています。リックです。まさかの1年以上ブログを更新しないという事態になっていましたが、

やっと?復活しました。

実はこの間、仕事もしつつ、博士課程へ進学する準備をしつつ、ダラダラしたり、グダグダしたりしているうちに、「そろそろ結果が出て、ブログの続きが書けるかな?」と思いながら時間が過ぎてしまい、時間が過ぎるとさらに書きづらくなる、という負のゴールデンループになっていました。

 

・・・と、いうことは、なにか結果が出たのか?ということになるのですが、まずは、

全然書いていなかった卒業式当日について、です。結論から言うと、無理をしてでも行ってよかったと思います。

 

 

せっかくなので

 

前日から久々のグラスゴーにウキウキが止まらなかった私は、午前無駄に7時過ぎにシティセンターのホテルを出てしまった。

 

暗い・・・。

 

さすがはスコットランド。すっかり忘れていたが、この時期のグラスゴーの日照時間はとても短い。

ただ、いかに暗くとも時間が時間であり、ぼちぼち通勤も始まってるようで、いくつかカフェも開き始めている。

 

頬に刺さる空気がまた冷たくて、ああ帰ってきたなあ、という気持ちは高まるばかり。

 

シティセンターから歩き、日本料理屋さんのナナクサの前を通り、M8を渡る。たまに使ったミシェルライブラリを眺めながら、歯が痛くて死にそうになったときにぼったくられた歯医者さんや、息子が通っていた保育園などを通り過ぎる。(当時)帰国して数ヶ月だったのに、もう思い出となってしまった景色が沢山。

 

そして、せっかくなので通学路でもあり、息子の遊び場でもあり、家族のバーベキュー場でもあったケルビングローブパークを通り過ぎると・・・グラスゴー大学のシンボルとなっている尖塔が見えてくる。これも、変わらない光景。

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ボツボツと卒業生?らしき人も増えてきて、バクパイプの生演奏があったりして、高まる、高まる。

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ハリポタの食堂のような会場で

 

卒業式はハリーポッターにでてくるホグワーツ魔法学校の食堂、のようなホールで行われた。数百年にわたって卒業生たちを送り出してきた会場前面には、総長以下の大学幹部が伝統のガウンを羽織り、1人ずつに証書を手渡していく。

 

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雰囲気もコースによって全然違うのか、私も少し授業を取っていた国際関係・人権論のコースは、名前が呼ばれるたびに掛け声や口笛がクラスメートたちから上がっていた。良識をもって鳴る(というか、軍人やマスコミなどの社会経験者が多かったからかもしれないが)うちのクラスメートたちは、盛り上がりに苦笑しつつ、お互いに肩を軽く叩いたり、'Congrats!' などと証書を持って帰ってくる友人に声をかけあったりしていた。

 

そしていよいよ自分の番。直前まで、隣に座っていたドイツ人のポールと小声で談笑してたため、かえって立ち上がってみると、雰囲気を感じて緊張した。フルネームで自分の名前を呼ばれ、学長の前に頭(こうべ)を垂れる(まさにこの表現)と、学長から頭と肩をちょんちょん、と棒?のようなもので触れられ、肩周りをぐるりと囲むスクールカラーの帯を被せてもらう。

 

おお、これで卒業かあ、と嬉しくなり、笑顔でありがとうございますと握手してもらい、「おめでとう」と学長に言っていただく。段を降りて行くと、別の大学幹部がにこやかにまたお祝いを言ってくださり、その足で元いた列へと戻っていく。都合2〜3分のことだが、終わってみると、卒業式来てよかったなあと思える瞬間だった。

 

仕事も休まなければならなかったし、航空券代もガウンのレンタル代も、バカバカしいといえばそれまでだが、やっぱり集大成のようなもの、儀式のようなものっていいなと思った。

 

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このとき、みんなで写真を撮ったりするために来てくれた、1期下のえむちゃん、カレドニアン大の迷友ハラ、終わってから付き合ってくれた学部生のKくんには心から感謝したい。写真や動画を撮ってもらえて、助かりました。

 

そのあとは、クラスメートや仲のよかった友人たちと、グラスゴー大学の誇る中庭で記念撮影をしたり、日本人の友人に付き合ってもらい、マッサンこと竹鶴政孝さんが勉強した伝統の教室でこっそり写真撮影をしたりして、大学をあとにした。

 

 

・・・なんか、もっと感動したこととか、こんなこと書こうと思ったはずなのだけど、あまりに時間が経ち過ぎてしまい、とりあえずこんな感じ。

 

 

 

 

さて、 ここでご報告ですが、ブログを再開できたのは、冒頭でも少し触れたとおり色々整理がついたから・・・でもあります。ほうほうの体でしたが、やっとの事で博士課程からオファーをもらうことができ、今夏から、私が愛して止まないスコットランドに帰れることになりそうです。

残念?ながらグラスゴーではないのですが、またその辺は、次回にしたいと思います。博士課程は最低でも3年。長いスコットランド日記になりそうです。

 

それでは次回から、再開、というか夏からはもはやセカンド・シーズンとなるこのブログをまたよろしくお願いいたします!

 

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Photo by Rick, iPhone 7plus: City Centre, Glasogow

 

祖母のこと。

 

どうもリックです。

今回は本当は卒業式のことを書こうと思ったのですが(というか書いているのでアップするだけなんですが)、先日大好きだった祖母が亡くなり、なんとなく頭の整理と備忘のために書いておこうと思いました。

 

グラスゴー情報が見たくてブログにアクセスしてくださった方、すいません。
でもこれはこれで、留学記なのです。たぶん。

 

なぜかグラスゴー大学の中庭を思い出す。

 

祖母は昨夏あたりから寝たきりになり、もう長くないと言われていたが、一時的な入院を経て、この時代幸せ(*)と言うべきか、畳の上で亡くなった。
*厚労省の統計によれば、終末期を在宅でと希望する人がほとんどの一方で、現実的には病院で最期を迎えられる方が沢山いるとのこと。

 

横たわる祖母に手を合わせて、いろいろ思い出に頭を巡らせていたが、ふと頭の中に甦ったのは、グラスゴー大学の中庭で祖母と電話したときのことだった。

 

まだ本コースが始まらず、プリセッショナルコースにいたときのこと。前にも書いたが、私の本コースは東アジア人が私一人という結構キツい状況だったが、プリセッショナルの時は、9割くらいの学生が中国人だった。今でもその時から仲のいい中国人は沢山いるのだけど、やっぱり朝から晩まで中国語の世界(英語ではない)に暮らしていると、かなり疲れた。かつ、自分は無条件合格ホルダーだったこともあり、結構周りの英語力の低さにはビビっていた。アカデミックライティングのお作法を学べたこと、よくブログに登場する盟友 梁(リャン)くん他数名の友達に出会えたのは本当によかったが、正直、プリセッショナルの時期に私の英語力は下がったとさえ思う。

 

脱線した。

 

そういうわけで、その日もややテンションが下がり、かと言ってクラスメートと雑談する気も起きず、授業が終わった後、グラスゴー大学の中庭で、そうだ、祖母に電話しとこうと思ったのだった。別に特段の用事はなかったが、母ちゃんから「寂しがってるから電話してやってくれ」と言われたばかりだったこともある。

 

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Photo by Rick(iPhone)


晴れ渡った空の下で、卒業生から寄贈されたベンチに座り、スカイプから祖母宅の固定電話に発信する(これで国際電話かけれるんだから、すごい時代!)。7月で、かつ晴れてるのに、顔に当たる風がやたら冷たかったのを覚えている。お決まりの、「最近どう?」という適当なコメントから始まり、

 

「まあ年だからね。耳鳴りとか色々あるけど、そんな変わんないのよ。イギリスでもちゃんと食べてるの?体調は大丈夫?」

 

うん。大丈夫。ばーばこそ、ちゃんと食べてるの?

 

「私は大丈夫よ。昨日も2駅歩いて、カツ丼食べてきたし」

 

・・・おいおいおい。
89歳にして健脚、健啖。そういう祖母だった。一年後に寝たきりになるとは、グラスゴーの空の下でおよそ思い至らなかった。


また別の日、本コースで苦しんでいるとき、諸々の不安を吐露したときは、

 

「いや大丈夫。写真見れば分かる。頑張ってる人間の顔つきだから。大丈夫よ。」

 

追い込みの時期に受け取った報せ

 

祖母が倒れた、危ないかもしれない、という第一報を受け取ったのは、修士論文を追い込んでいた8月だったと思う。当時、私はケンブリッジのサマースクールが終わり、修士論文提出に向けて気持ちの上ではかなり張り詰めていた。

 

まじいな・・・。

 

というのが正直な最初の感想だった。お見舞いに行けないのはもちろん辛いが、万一亡くなってしまったらどうしよう。他の時期なら迷わず帰国だが、今は、どうだろう。ある意味では、この瞬間に留学の集大成の全てがかかっている。遊びにきたわけでない。超絶安定した仕事を投げ打ってチャレンジして、一生懸命努力しての8月だった。非人情といえばそれまでだが、迷った。

 

  私が生まれて半年でオランダに渡ったとき、しばらく一緒に過ごしてくれた祖母。

 

  仕事が決まった時に一番喜び、働いているときは心配してくれた祖母。

 

  仕事を辞めることに、最後まで反対していた祖母。

 

  辞めると決めた後は、一番応援してくれた祖母。

 

  留学中も、妻が書いている家庭内ブログを眺めるのを一番の楽しみにしてくれた祖母。

 

だからこそ、ここは頑張りどきじゃないのか。踏ん張りどころじゃないのか、と思った。祖母を想う気持ちでは人後に落ちない。

 


私は、俺は、おばあちゃんっ子なのだ!

 


仕事が忙しくて祖母のところに顔を出せず、「悪いね」と言ったとき、いつも祖母は、

 

「ああ、まあいいのよ。私とあなたは、気持ちが相通じてるから」

 

と言っていた。

 

結局、万一の際は、親や親戚とどんなに衝突しようとも、やり切るまでは帰国しない、と意固地に決断した。迷うたびに、「いや、俺とばーばは気持ちが相通じている。だから大丈夫」と想うことにした。

 

だから、というわけではないが、帰国後に顔も見れて、留学のお土産話もできて、孫の顔も見せれて、というチャンスに恵まれたのは、正直、望外の喜びだった。そういう経緯もあったので、葬儀に参列し、きちんと祖母を送ることもできて、よかったと思う。


面白いことに、と言っては不謹慎かもしれないが、「もしばーばになんかあったらどうしよう」というのは留学中ずっと思っていたし、そのピークは件の8月のときだった。

 

そのときグラスゴーで思い悩み切ったからかもしれないが、今は、悲しみよりも頑張んないとなあという気持ちが強い。祖母があれだけ応援してくれたのだから、その成果をきちんと将来につなげなければ。

 

 

・・・おばあちゃんっ子だからね。

 

 

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Photo by Rick (iPhone)

 

卒業式に行ってきました。@グラスゴー大学(上)

 

ご無沙汰しております。リックです。
諸事情により、大変長い間、更新せずにおりました。

 

新しくアクセスしてくださった方、こんにちは。
変わらず(諦めずに)アクセスしてくださった方、ありがとうございます。

 

さて、時間が空いてしまったのですが、昨年末に、修士課程の卒業式に行ってきましたので、今日はそのご報告。あ、でも今回は前日譚で、本番のご報告は次回になります。

 

久々のグラスゴー。

 

偶然が重なって、現在の職場で働くことになる前、PhDの準備に専念すべく、働くことなんて予想だにしていなかった私は、11月末に予定されていた卒業式に参加すべく航空券まで取ってしまっていた。

・・・が、突然働くことになったため、就職の際に、「あのう・・・この時期2週間くらいいないんですけど、それでもよければ・・・」と謎に上から目線の条件提示を行った私。

 

結果として理解あるボスと職場の皆さんに支えられて、無事に繁忙期に職場を抜け出し、出国できることになった。・・・まあ、離陸15分前まで職場から断続的に電話がかかってきたり、中継地のドバイで携帯開いたらボスからSMSが来ていたりと、無事だったのかはちょっと分からないが・・・。

 

さて、中継地での滞在も含めると、20hくらいのフライト。長旅ですっかり疲れたが、もう何回も往来したグラスゴー空港。2ヶ月しか離れてないのに、すでに懐かしくてしょうがない。入国審査官がボケていて、「なぜこいつらは間違ったことを堂々と言い張るのだろう?」とそういう意味でも懐かしい気持ちになったが。なんて相変わらずなんだ・・・。

 

Highland Spring(地産のミネラルウォーター)を買って、シャトルバスに乗り込み、携帯のSIMを復帰させる(gifgaffのSIMカードを料金は止めて、保管しておいた)。

 

風神雷神に愛される神々の大地、スコットランド。下手したら卒業式も嵐の中で開催かな?と覚悟していたが、なんと滞在中の2週間、ずっと快晴だった。ほとんど奇跡だ。

 

シャトルバスに乗っても快晴で、「これも日頃の行いがいいからだな」と一人納得し、ウキウキ。ウキウキしすぎて、電話したカミさんから、「本当、わかりやすい人だね・・・」と呆れられる

 

しかし、高速を抜けて、クライド川を渡り、彼方にグラスゴー大学の尖塔が見えつつ、市街に着くと、もうキュンキュンは止まらない。

 

寂しいこと、新しいこと。

 

今回の短期滞在では、留学本体の時期に比べて新しい発見がたくさんあった。例えば、クリスマス時期、市内の中心部 City Centreには巨大な観覧車や移動遊園地が設置され、夜は綺麗にライトアップされている。

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Buchanan Street & George Square

 

全然、知らなかった。

1年以上住んでたのに。

 

改めて、去年のクリスマス頃って何してたんだっけ?なんで知らないんだ?と思い返してみると、まあ当たり前というか、そもそも授業や勉強、課題に追われまくっていて、とてもでないが、シティセンターまで出てくる余裕がなかった。

 

クリスマスに限らず、よく考えたら、1年の間、大半の時間を家と大学と図書館しか往復していなかった。そもそも、シティセンターにいても、あまり他のことに関心が沸いていなかった気もする。せっかくなのにつまらんという気もしないではないが、留学って本来そういうもんだろ、という気もする。印象だが、真面目に留学した人ほど、思い出は図書館に集中するはずだ。遊びに行ってんじゃないんだから。

 

そういう意味で、今回の滞在はほとんどノン・ストレス。課題があるわけでもないし、何かに追われているわけでもない。将来の不安は引き続きあるが、留学中に比べれば腹も据わっているのだ。ストレスがないと、人間の感性は豊かになるらしい。

 

「あ、こんなお店あったんだ、へえ、ここってこんなだったけ。せっかくだからこの道歩いて、このお店入ってみようかな」

 

欲しがりません!勝つまではっ!みたいなあの頃とは、大違いだ。


少し寂しかったのは、以前このブログでも紹介した私の盟友、中国人の梁(リャン)くんや、同じく紹介した迷友ジュリアン(ドイツ人)、インドネシア人で親しかったクラスメートのIちゃんやUくん、他何人かの中国人の友達など、会いたかった友人が軒並みいなかったこと。なんとなくクセで「今夜呑みに行かない?」みたいなメールを梁くんやジュリアンに送りそうになるが、「あ、そうか。いないんだ・・・」と思った瞬間の寂寥感ったらない。改めて、留学は場所だけでなく、親しかった友人たちが形作ってくれるものでもあるんだなと痛感。

 

一方で、今回は留学中、意図的に会うペースを絞っていた日本人留学生とも、ここぞとばかりに遊んでいただいた。留学生としては1期下になるが、このブログを通じて私の留学終盤に家族ぐるみで仲良くしてもらったNちゃん、Mちゃん、Kくん、ブログを引き継いでくれたえむや、変人にして我が心の友であるH。

 

この日も翌日の卒業式を控えて、ホテルでのんびりしようかと思っていたが、折良く連絡してくれたHに、行きつけの格安のケバブ屋に連れて行ってもらい(ここも知らなかった。)、いい雰囲気のカフェでお茶に付き合ってもらった(ええ。ここも、知らなかった。)。このブログでも めおとのグルメ のコーナーとか作って外食してたのに、やっぱりほとんどCity Centreは開発しないままになっていた。反省というべきか、真面目に勉強していた証だと思うべきか・・・。


そんなわけで、帰国(?)初日は懐かしさだけで胸がいっぱいになり、翌日の卒業式に備えることに。

 

やっぱりいいわあ。スコットランド。

 

(次回に続く)

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Photo by RIck (iPhone 7): Kelvin River

帰国してみて。

 

こんにちは。リックです。

 

やっぱり働き出すと忙しく、かつグラスゴーを離れてしまうと日記書くのは難しいですね。このまま読者のみなさまが離れないよう、少し気合いを入れねば。。。

 

今日は帰国してみて感じることです。

先におことわりします。今日はものすごいつらつらした話で、留学される方には別に参考にはならんと思います。悪しからず。

 

参考になる話をしろ!という方は過去の記事か、三代目グラスゴー留学ブログ↓の記事をご覧ください。

postgraduateinglasgow.hatenablog.com

 

帰国してみて。

 

一番に思ったことは、

 

どうも、下を向いて生きているひとが多いような・・・。

 

ということ。

満員電車しかり、道端しかり、昼休みのちょっとしたスペースしかり。

もう驚くほど、サラリーマンに生気がない。しかも、ずうっとスマホの画面を眺めている。私も、勤めていたころはああだったんだろうか。サラリーマンだけでなく、髪の長いOLさんがひたむきにスマホゲームしている姿は、若干髪が垂れた貞子のようでもある。

 

幸い、帰国後の職場が近かったので、雨が降らない限り、私は息子の保育園までがらがらベビーカーを押して30分ほど歩き、さらに職場まで徒歩。満員電車とは関わらなくて済む。その時点で相当幸福だと思うが、事業所も・・・まあある意味小規模で・・・活気のある・・・場所なので、そんなに下向いてる人も少なく、東京にあっては幸福なんだと思う。

 

でもやっぱり、自分の状況はさておき、人のいなかったグラスゴーに比べると、日本は狭い。かつ、労働者、特にサラリーマンが暗い。なんでそんなに違うのかよくわからないが、少なくともスコットランドのサラリーマンは、きびきびしており、楽しそうにしていた。自転車で通勤するひともいれば、歩く人もいるが、スマホ見ながらなんて人は少ないし、下手したらまだ明るいうちからビールやワインで乾杯している。

 

日本だと、けしからん!となってしまうが、留学していた1年間、あの姿を見てしまうと、それの何がいけないんだろう?いいじゃない、楽しそうで、という感じがする。

 

一方で感じたことは、

 

日本は超絶清潔で、居心地がいい。

 

コンビニの店員さんでさえ礼儀正しく、郵便局をはじめ、事務作業にミスがなく、しかも早い。

 

下手したらお釣りを投げられ、ミスが当たり前で、しかもミスに気づかなければこっちが悪い、お客さんをほっぽらかして鼻くそほじりながらランチに行ってしまうのとは大違い(ちなみに全部、留学中の実話である。)。いやもちろん、みんながそういうわけじゃないし、気さくに楽しく接してくれるひとに会えば、日本よりも楽しくカフェやパブで過ごせることもあるんだけど。

 

よく、欧米の方が一人あたりの生産性が高いというが、そんなことは全然ないと思う。国としての生産力は高いのかもしれないが、私が滞在して感じる限り、彼ら個人の労働者はほとんど何も生産していない。帰国して改めて思うが、日本の末端従業員の生産力は半端ではない。

 

ただ・・・。

 

セットで考えると、どうなんだろう?

 

日本は、完璧を求めすぎなんじゃないか?別に、もうちょっと適当でもいいのではないだろうか。イギリス並に適当になったら亡国の危機だが、彼らのおおらかさはもうちょっと見習ってもいい気がする

 

順番待ち、気にしない。 お菓子の袋に穴空いてた?じゃあ取り替えるよ。 洗濯機壊れてる?修理はくるよ、そのうちね。

 

顧客もおおらかだから、一人一人の生産の質が低くても、国全体としては前に進んでしまう。多少雑だろうが、前進する。一方で、日本は細かいことにこだわりすぎて、遅くまで働く、頑張っちゃう。結果、ミスが少しでもあれば停滞し、国全体の機動力は下がる・・・なんてことが両者の違いにはあるのではないか、と帰国して感じる。

 

何もしなければ、何にもならない。

 

そんなことを考え、殺伐としているサラリーマンを脇からみると、留学するにあたって、仕事辞めてよかったかもしれない、と思う。

 

話は変わるが、帰朝報告も兼ねて、中学生のときの塾のH先生に会いに行った。H先生はいまも教鞭はとりつつ、本業は児童書の翻訳家。いつも何かしら、インスピレーションがもらえるので、今でも時々お酒をご一緒させていただいている。

 

あんまり詳しく書くと失礼なので、端折って書くが、H先生も元は大企業のサラリーマンだった。私同様(?)、企業名を聞けば、「いや普通辞めないでしょ」というようなところにいらした。でも結局、翻訳の道に飛び出して行かれたのだが、その話を伺ったときに、「あ、なんか俺もできるかもしんない」と思い、後年、私も組織を飛び出して留学してしまった。(ちなみに、他の塾の先生は、「じゃあ、リックくんをダークサイドに引き込んだのは、H先生の責任な訳だ」と指摘するのに対し、H先生は「いや、僕は何も指南してませんよ!」と抗弁されている。)

 

仕事なんか辞めちまえばいい、ということではないし、私は前職から学んだことは計り知れないので、全く憾み(うらみ)はないが、辞めてみて見えたこともある。

 

今回先生とビールを飲んでいて話していたのは、

 

何もしなければ、何もならない

 

ということ。例えば翻訳の話で言えば、まっさらな状態でノウハウがなくても、出版社に突撃してみなければ、(当然)本なんか出版できない。私も、いろいろやってみたいと思うことはあるのだけど、これもやってみないと、始まらない。

 

この当然といえば当然の真理に、意外にサラリーマンだった頃は気づいていなかった。サラリーマンだってそうだよ、と思われる向きもあるかもしれないが、やっぱりちょっと・・・感覚的には違う気がする。うまく言えないが、組織のバックアップも、チームや先輩の助けもなく、自分で全てを引き受けて何かする、というのはこんなに難しいのか(そして楽しいのか!)、と留学中、そして帰国してからぐいぐい感じるようになった。

 

グラスゴー時代、一緒だった友人たちの中には、まだ就活で苦労しているひとももちろんいる。でも、この、リスクも喜びも全部引き受ける、という醍醐味みたいなものは、みんな感じてるんじゃないか、という気もする(え?そんなことない?)。

 

まあ、結局誰かに雇われて就職するなら同じじゃん、という感じもしないではないが、つらつらと、いま書いたようなことを感じながら、生活してます。

 

まあ、非常勤とはいえ働き始めると、こういう感覚は薄れ、グラスゴーは遠くなっていくんですけどね。

 

せっかく留学で得た果実、忘れずに活かして、やりたいことがあれば、自分で取りにいく。何かを得るために、とりあえず何でもやってみようと、思います。

 

 

Photo by Rick (All Copy Rights Reserved): A Shop of Oliebollen, Netherland